2人目不育症であり、第一子出産以降、4回の流産を繰り返している私(ララ)ですが、妊活・不育症情報の検索魔です。
いろんな方の経験談をブログや質問サイトで読んでいるのですが、妊活ストーリーは百人いれば、百通りの話があります。
前述の通り、私は4回の流産をしていますが、流産の仕方や、メンタルも同じではありません。経験談として、それぞれの流産について、記録を残しておこうと思います。
私は今年の5月に4回目の流産をしましたが、今回は妊娠から流産までをライブでブログしていました。
最近、そのブログ記事に対して、同じく妊活中の女性よりコメントを頂き、読んでくださっている方がいること、私のブログに何かしらの価値を見出してくださっている方がいることに、とても嬉しく思いました。
今回、ブログに残す記録は流産という、あまりハッピーなテーマではありませんが、流産しそうな方、稽留流産の診断を受けて不安になっていて検索している方へ、1人の経験談として有益になれば嬉しいです。
関連記事 カウンセリングや、頻繁なエコー診断など、患者の心の不安を取り除く「愛護的ケア」を知っていますか?流産回避率を向上させるとされる統計データを「Tender loving care (TLC、愛護的ケア)が流産回避率(妊娠継続率)を向上させる」で詳しく解説しています。
まずは簡単に、私の妊娠・流産の履歴
前提として、簡単に私の妊娠と流産履歴を簡単に説明しますね。
2016年 初の体外受精で第一子妊娠
2015年 妊娠中の経過も全く問題なく出産。ただし緊急帝王切開
2016年 計画外の自然妊娠(心拍確認前に初流産)⇦今回はこの話
2016年 2回目の体外受精で妊娠(弱い心拍確認後に、2回目の流産)
2017年 自然妊娠(弱い心拍確認後に、3回目の流産)
2018年 自然妊娠(心拍確認前に、4回目の流産)
今年の妊娠については、妊娠した妊娠4週目からライブでブログを綴っています。流産後は、赤ちゃんの染色体検査も受け、その結果も綴っています。カテゴリー「4度目流産(リアル記録)」をご参照ください。
今日は、第一子出産後の妊娠と流産についてのみ、お話ししたいと思います。
流産過程における、生々しい表現もあるので、そういうのが苦手な方は、お気をつけください。
第一子出産後の妊娠について
私たち夫婦は、体外受精によって第一子を妊娠、出産しましたが、その妊娠に関して「妊活をした」という意識はありません。
体外受精は、妊活の最後の砦として考えられている方が多いようですが、私の場合は、最初にクリニックの門をくぐり、一通りの夫婦の検査を終えた後すぐに「第二子も考えたいから体外受精を希望」と伝えました。
周りで長く不妊治療を行っている友人がいました。何年もの不妊治療の期間の後に、最終的には体外受精で赤ちゃんを授かりました。
私は当時36歳。回り道をしている時間はないと、すぐに体外受精を希望しました。
また、第二子を考えた時に、少しでも若い卵子を用いて、遺伝子異常などのリスクを減らしたかったことも大きな理由です。
妊活とは無縁だと思っていた
体外受精で出産したものの、妊活で苦労した記憶もなく、妊娠中も全てが順調だったので、まさか、第一子出産後、不育症に悩み、妊活をするとは思ってもいませんでした。
第一子を出産した自信からも、妊娠さえすれば出産できると思っていて、妊娠も、凍結している受精卵でまた体外受精すれば大丈夫、妊活とは無縁と考えていました。
自然妊娠しづらいと思い避妊なし。想定外の妊娠
クリニックの門をくぐったのは、結婚して1年弱の頃です。特別に意識してタイミングを合わせていた訳ではありませんが、1年しても妊娠しなかったので、クリニックでの検査結果に問題はなかったものの、妊娠しづらい体なのかなと思っていました。
出産後、次の妊娠まで1年は明けたほうが良いと言われていますが、妊娠しづらい体だと思っていたので、避妊を全くしていませんでした。
それが、ある日、マンションのゴミステーションにゴミ出しに行くと、臭気にムッと吐き気を覚えます。
ゴミステーションには常になんとなくゴミの匂いが漂っていますが、今までにそんな吐き気を覚えたことはありません。
よく考えてみれば生理が遅れていましたが、数日の遅れは気にしていなく、気がつけば、吐き気がした時点で1週間ほど遅れていました。
その後、自宅で検査薬を使用して検査してみると陽性反応が出ました。
予定外の妊娠です。その時点で、出産後10ヶ月。基本的なルール「次の妊娠まで1年」から外れてしまいました。
正直、心から妊娠を喜べなかった
当時から、第二子は絶対に欲しいと思っていたのですが、もう少し後で良いと思っていました。
まだ息子は10ヶ月。もし、その時の妊娠が流産しなく、出産していたら、息子は1歳8か月。まだまだ小さく、2人育児が大変なだけではなく、もう少し、息子だけを構っていたいなという気持ちがありました。
また、すでに、その時点で秋にスペインへの引っ越しが決まっていて、航空券も購入済みでした。飛行機に乗る時点で、妊娠8か月。
飛行機に乗るのは、妊娠8か月でギリギリ。
1歳の子供を抱えた引っ越し準備も大変ですが、子と犬を連れた長距離の飛行機移動も大変そうです。
また、スペインに到着後もスムースに、スペインの保健システムによって出産できる病院が決められるのか、とても不安でした。
妊娠はめでたいことであるのですが、不安が多く、夫婦共に心から喜んでいないことに罪悪感を感じていました。
妊娠発覚時は、努めて、前向きになるようにしていました。
妊娠後の初検診
第一子の体外受精でお世話になったクリニックで、初検診を行いました。
初めてのエコーでは、その妊娠5週なら確認できても良い胎嚢が見つかりません。
子宮外妊娠の可能性もあるということで、1週間後に最診となりました。
息子の妊娠の時は、全てが週数通りの順調な成長だったので、まさか、このようなケースを想像していませんでした。
予定外の妊娠に戸惑っていた私ですが、この時は、やはり赤ちゃんには生まれてきて欲しいと思いました。
胎嚢は確認できたけど、、、
次回の検診では、胎嚢が確認できたので子宮外妊娠の可能性はなくなりましたが、大きさが小すぎます。
その1週間後の診察でも、大きくなりません。医師から流産の可能性を示唆されます。
さらに、その1週間後の検診でも、成長がみられないため、心拍確認前に稽留流産と診断されました。
すでに何度も検診を受けていて、毎回、不安因子があったので、流産の可能性について、心の準備をしていました。
それでも、流産が確認した時は悲しく、エコー台の上で涙を流しました。
流産処理方法の選択肢
稽留流産が確定したからには、次の妊娠に備える意味でも、お腹の赤ちゃんを外に出す必要があります。
医師からは、掻破手術と、自然流産の選択肢を用意されました。
掻破手術は、スケジュール調整がしやすいメリットがある反面、自然流産に比べると子宮内を傷つける可能性というデメリットがあります。
次の妊娠を希望する場合は、子宮へのダメージが少ない自然流産を選びました。
ただ、自然流産には、いつ大量の出血と痛みを伴う流産が起こるかわからないというデメリットがあります。その為、遠くへの外出を控えがちにする必要があります。
お仕事をされている女性などは、この急な自然流産に対処できる環境にいないこともあり、その場合は掻破手術を選ぶ方も、いらっしゃるようです。
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なかなか来ない自然流産
前述の通り、私は自然流産を選びました。
医師からは「自然流産が終わったら来院してください。1ヶ月経っても自然流産が起こらない場合は、掻破手術を検討しましょう」ということでした。
その間、検索魔となり、自然流産した方の体験談を読み漁り、痛みの具合や、出血などについての情報を収集していました。
この自然流産が、私の場合は、なかなか来ませんでした。
来院期限の1ヶ月が近づき、このままいくと掻破手術かなと、今度は掻破手術の情報収集をしていていました。
自然流産の始まり
あと数日で1ヶ月という頃、夫と、少し遠くの大型スーパーに買い物へ行きました。
バスでマンション近くに到着してから、夫と別れて、私だけは、近くの店に用事があり、ちょっと回り道をすることに。
この夫と別れた数分後、急に気持ち悪くなり、腰のあたりが重く痛くなります。とてもきつい生理痛以上の痛みです。
歩くのもゼイゼイするぐらいになったので「これは!」と思い、急いで自宅マンションに戻ります。
体調が急変してから、自宅にたどり着くまで、約5分。
自宅に到着次第、トイレに駆け込み、しばらくすると、腰あたりの激痛と共に、大量の出血が始まりました。
血の塊が出て、少し落ち着いたかなと思い、大きなナプキン(スーパー夜用)を当ててトイレの外に出るものの、また激痛の波がやってきて、トイレに逆戻りです。
数分前にあてたばかりの大きなナプキンは、もう全体が真っ赤で、血液をたくさん吸収したナプキンはずっしりと重くなっています。
激痛と共に、また体内から大量の血液がドバッと出ます。本当に、大量です。
そんなトイレとの往復が続いたので、痛みと出血の波が治っても、しばらくはトイレにいることにしました。
激痛の時は、本当にうなる辛さです。
出てきた胎嚢を観察する
ゼリー状の血の塊が、血とともに出るのですが、明らかに血塊とはこtなる、ブルッと大きな塊が出ました。
それは、胎嚢なのか、赤ちゃんを作り上げていた組織の1つのようです。
私は、血だらけのトイレの水の中、あまり形が見えなく、そのまま見ないままにするのも後ろ髪を引かれたので、割り箸で、血だらけのトイレから拾い上げて観察してみました。
ピンクぽい肌色をした、たくさんのヒダヒダがついた塊でした。いわゆる、焼肉などのホルモン肉片と同じような感じです。
赤ちゃんらしき形は、全く見つかりません。
「これが赤ちゃんなのだ」と、感傷に浸ろうとしましたが、この塊を見て、愛おしい気持ちは湧いてきませんでした。
我が子と呼べるほどの形はしていませんし、愛情が沸く前の流産でした。
この塊をどうするのにかは、躊躇しました。
結局、トイレに流してしまいましたが、短い間でも命あった赤ちゃんの塊をトイレに流すことに罪悪感を感じました。
ただ、マンションで庭もなく、埋葬するような土もありません。
トイレのレバーを引く時は「本当に流してしまって良いのかな」と思いつつも、他にどうすることもできないので、後ろ髪を引かれつつも塊を流しました。
妊娠発覚から、自然流産まで不正出血
この時の妊娠の覚書としては、妊娠発覚から、常に不正出血が続いていました。
量にしたら、ごくわずかで、オリモノ用シートに茶オリシミがつく程度ですが、それが稽留流産確定後から自然流産まで、ずっと続いていました。
自然流産後は、1週間ほど、生理3・4日目のような出血がだらだらと続いた後、出血が止まりました。
最初の生理は、それから1ヶ月ほど後に来たと思います。
赤ちゃんの染色体検査について
私は、この塊を流してしまいましたが、赤ちゃんの染色体検査をしたい場合は、事前に医師と相談して、出てきた内容物を保管して持ち込めば良いと思います。
私は、4回目の流産の際、初めての染色体検査を行いました。その結果は「流産後、胎嚢の染色体検査の結果」で説明していますが、染色体異常は見つかりませんでした。
赤ちゃんの染色体に異常が認められた場合、お母さんには何もできない、防ぐことのできなかった流産ということになります。
私のように赤ちゃんに染色体異常が見つからない場合は、何かしら母体に問題があり、赤ちゃんに栄養供給ができずに流産してしまったのでしょう。
私のスペイン人医師は「染色体異常が見つからないで良かったね。見つかった方が、シリアスな母体がシリアスな問題を抱えている可能性がある」と言いますが、私は原因不明の不育症なので、原因がわかった方が、治療方法や流産理由が明確になるので良いかもと思う気持ちがあります。
私のように不育症で、赤ちゃんに染色体異常が見つかった場合は、夫婦のどちらかが染色体異常を持っている可能性が浮かび上がります。その場合は、夫婦の染色体検査を行い、異常が認められた場合は、着装前診断などで、受精卵を選別する方法などを取ることができます。
ちなみにスペインにて、流産時の染色体検査は無料です。ただ、日本の場合は有料になるようで、かなり高額になるようです。
さらっと調べただけですが、あるブログの方の情報では10万円ぐらいされたようです。ちょっと、勇気が出る金額ですよね。
なので初回の流産は、よくある赤ちゃんの染色体異常である可能性があるので、医師から染色体検査を勧められたりすることは、あまりないと思いますが、流産が続いた場合などには、勧められることもあるようです。
医師の方針にもよると思うので、赤ちゃんの染色体検査に興味がある場合は、流産する前に伝えておいた方が良いでしょう。
病院によっては、単純に染色体異常の有無が結果レポートに記載されている訳ではなく、性別まで判定として記載されている場合もあるようです。
自然流産後の検診
結局、掻破手術の可能性となる1ヶ月の2、3日前に自然流産しました。
その後のクリニックでの検診では、エコーを確認しましたが、全部の組織が出切れていなかったようで、膣内の軽いクリーニングを行います。
麻酔が必要なレベルではなく、膣内をゴリゴリ強めにこすっている感じです。
おそらく、私がトイレでつまみ上げた塊は、妊娠を形成する何かの塊ではあったと思いますが、胎嚢ではなかったと思います。
この後、3回の流産をするので、その度に、中から出てきた胎嚢を見る機会があるのですが、同じような大きさでヒダがついている塊は見たことがありません。
ちょっと、この辺りは、医学的な知識もなく、具体的にどの部分を見たのか不明です。
自然流産後のメンタル
計画外の妊娠に、戸惑ったけれど、流産の結果は悲しかったです。
ただ、この時は、初めての流産だったので、この後に流産を繰り返すとは思ってもいなく「初期流産でよくある染色体異常が原因だったのかな」「運が悪かっただけ」と、少し悲しいけれど、あまり落ち込みはしませんでした。
次は大丈夫と信じていました。
ただ「最初から流産する運命なら、なぜごく僅かな時間だけでも、私は妊娠したのだろう?流産する運命の赤ちゃんなら、辛すぎる」とスピリチャルの意味を探し求めていました。
実は、ちょうど同時期に、私の10歳ほどの従兄弟が急死、お世話になっていた恩師が亡くなった(この2つの訃報は、なんと同日に届いた)ことが重なり、自分の流産も合わせて、死の意味を考えている時期でもありました。
流産のスピリチャル的な意味については「「流産」を池上明「胎内記憶」流、スピリチャルな視点で考えてみた」で、私なりに考えています。
いろんなスピリチャル的な意味があり、流産の傷は少し癒されますが、やはり神様に私は「流産という試練より、子育てという試練をください!」と叫びたいです。
特に、4回の流産後は「まだ流産させますか!!!」と。
まとめ
今回は、初めての流産の経験談でした。少し、記憶が曖昧な点もあるのですが、できるだけ細かく書いてみました。
この時は、流産で悲しい気持ちにはなりましたが、今後の妊娠に不安を抱いていない時期です。
周りには、1回の流産をしている友人は結構な数います。私も、その1人なんだという気持ち程度で、次の妊娠は絶対大丈夫と信じていました。
次回ブログでは「2回目の流産」経験談に続きます。
2回目の流産以降は、全てスペインに引っ越した後となります。
日本と、流産処理の仕方も異なるので、その辺りは「ふーん、海外ってそうなんだ」という情報にはなると思います。
スペインの場合は、掻破手術ではなく、薬を膣に入れて流産処理をします。詳しくは、次回のブログで。
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